疲労回復やストレスマネジメントにおける睡眠の重要性は、以前から指摘されてきました。良質で十分な睡眠は、労働安全衛生においても重要であり、客観的な評価とその対策が論じられています。特に昨今、慢性睡眠不足と睡眠負債の概念が重要視されています。睡眠と疲労回復の概要について、客観的な指標も交えながら見ていきます。
睡眠と疲労の客観的指標
睡眠不足については一般に、「目覚めがすっきりしない」「熟眠感がない」「日中の眠気を感じる」など主観的な訴えから推測することが多いと思われます。睡眠時間についても、本人からのヒアリングにより就寝時間と起床時間を確認して推測することが一般的です。しかしながら、睡眠についてのこれら主観的な情報と客観的な指標には乖離があることが確認されています。
精神運動覚精度検査(PVT)
国際的に用いられている眠気や疲労の尺度として、精神運動覚精度検査(Psychomotor Vigilance Test / PVT)があります。PVTとは下図のような箱形の機器で、被験者は赤いディスプレーに数字が表示されたらボタンを押すという単純な操作を10分間もしくは3分間、繰り返します。これによって反応時間を測定し、主にその遅延時間や反応時間のバラツキなどを解析することにより、睡眠不足や疲労度を客観的に評価できます。
下図はPVTの測定結果を示したものであり、横軸に10 分間の検査の経過時間、縦軸に被験者がボタンを押すことができた時の反応時間の早さを示しています。0.5 秒以上経過してボタンを押したものは、遅延反応(ラプス)と呼ばれ、瞬間的な居眠りの指標にもなります。
この図に示すように、疲労度が低い状態では、反応時間のバラツキは少なく遅延反応の出現もありません。一方で疲労度が高い状態では、反応時間にバラツキがあり、遅延反応も認められています。
PVTと疲労度の相関は、空港におけえる手荷物検査を模したテスト(Basner & Rubinstein, 2011)での成績悪化や医師のオンコール体制明けの覚醒度の悪化(Basner, 2017)などで認められており、PVTの指標が職場での疲労・覚醒度の指標となることが示されています 。
さらに、下図のように慢性睡眠不足によるPVTの指標と主観的な眠気の指標の間には乖離があることも示されています。
PVT指標では、1日4時間という短時間睡眠を7日間続けると1晩の徹夜と同等の疲労度、10日間続けると2晩の徹夜と同等の疲労度に相当する結果になります。一方で主観的な眠気は、1日4時間の短時間睡眠を7日間続けたところで1晩徹夜に相当する眠気に達しますが、それ以上、短時間睡眠を継続しても2晩の徹夜レベルには達しません。これは慢性睡眠不足において、本人はさほど眠くないと感じていても、実際にはかなりパフォーマンスが低下していることを意味します。また特に日本においては、仕事への義務感や使命感などから主観的な眠気を低く評価する傾向があるとも言われています。
このように、PVTは疲労度や慢性睡眠不足の客観的な評価に有用とされ、運輸や医療の現場などにおける長時間労働による慢性睡眠不足の評価にも応用されています。慢性睡眠不足を客観的に評価することにより、日中の眠気や居眠りによる事故やヒヤリハットを単なる「本人の注意不足」によるものとする考えを改めることになります。そして、労働者個人の義務感や使命感といった努力に依存するような根性論的・前近代的な考え方から脱却し、睡眠不足による脳の疲労と生理的な反応という客観的根拠に基づいた考え方に結び付いてきます。
アクチグラフ
アクチグラフは、四肢の動きを3次元加速センサーで経時的に記録するもので、覚醒度に応じて活動度が変化し、睡眠時にはほぼ0となります。この性質を利用して、総睡眠時間や睡眠潜時(就寝してから睡眠に入るまでの時間)など睡眠に関する客観的なデータを得ることが出来ます。アクチグラフの機器は、腕時計タイプの小型のものが販売されており、自宅にて簡便に測定することが可能です。
アクチグラフと本人の記録を比較すると、アクチグラフのデータの方が、睡眠潜時が約23分短く、全睡眠時間が約37分長いと報告されています(Smith, 2018)。申告された睡眠時間と真の睡眠時間には乖離があることになり、正確な睡眠時間の把握には客観的なデータが必要といえます。
質問票による評価指標
PVTやアクチグラフのような定量的な指標は客観性がありますが、専用の機器が必要で、測定にある程度の時間がかかります。一般には簡便で短い時間で施行可能な質問票による評価が行われています。質問に答える形式であるため主観が入る余地はありますが、医学的な研究に基づいた質問が設定され、睡眠や疲労の状況との相関も認められているため、合理的な指標とされています。
疲労蓄積度自己診断チェックリスト
労働者の疲労蓄積度を評価するために、「労働者の疲労蓄積度自己診断チェックリスト」が中央労働災害防止協会により作成され、長時間労働者の面談などにおいて広く活用されています。質問票形式であるため完全に客観性があるとはいえませんが、健康障害防止の視点から医学的に研究された適切な複数の質問に基づいた結果が得られます。最終的に点数化されるので、受験者本人にもわかりやすく、面談を担当する医師にとってもある程度の客観性をもった疲労度評価として有用です。
質問に答えて各項目の点数を加算していくと、「自覚症状」と「勤務の状況」がそれぞれ4段階で評価されます。この2つから最終的に「疲労蓄積度の点数」が出されます。
最新版として、厚生労働省から2023年改正版が出されています。WEBプログラムもいくつか提供されています(厚生労働省、中央労働災害防止協会)。
アテネ不眠尺度
アテネ不眠尺度とは、世界保健機関(WHO)が中心になって設立した「睡眠と健康に関する世界プロジェクト」によって作成された不眠症の判定方法です。世界標準の不眠尺度であり、日本語版もあります。シンプルな8つの質問に対する回答を最大24点で数値化し、不眠の度合いを測定します。
以下のような事項に着目した質問によって構成されます。
Q1 入眠(消灯後寝入るまでかかる時間)
Q2 夜間の覚醒頻度
Q3 起きようとした時刻前に最後に目が覚めた時刻
Q4 総睡眠時間
Q5 全体的な睡眠の質(睡眠時間にかかわらず)
Q6 日中の元気度
Q7 日中どれだけ働けるか(身体的および精神的)
Q8 日中の眠気
合計の点数が高いほど睡眠の質が低く不眠の傾向があるといえ、点数が低いほど良好な睡眠がとれていることになります。
睡眠負債
睡眠不足や疲労の客観的な指標を見てきました。もう一つ重要な点として、慢性的な睡眠不足は蓄積していくものであり、回復にも時間がかかるということです。これは、睡眠負債といわれます。
上図のように、3~5時間の短時間睡眠を継続するとPVTの反応遅延回数は悪化していきます。その後3日間、8時間睡眠に戻しても、反応遅延回数がすぐには正常レベルには戻らないことも示されています。この結果から日々の睡眠不足が睡眠負債の原因となることが示され、睡眠負債が顕著になる前に十分な睡眠・休息を取るべきと考えられています。これが、勤務間インターバルの考え方にもつながっていきます。
勤務間インターバル
睡眠不足を蓄積させないことの重要性が認識されるようになり、その対策として勤務間インターバル制度が導入されるようになりました。
労働時間規制においては、過労死の防止を念頭においた「脳・心臓疾患の労災認定基準」や過重労働による健康障害の時間的な基準などを根拠として、労働時間そのものの短縮を目指すものでした。時間外・休日の労働時間が45時間を超えて長くなるにつれて健康障害のリスクが高まり、単月100時間もしくは2~6カ月平均80時間になると過労死のリスクが高まることが、労働時間制限の数値的な根拠となってきました。
一方で慢性睡眠不足の蓄積(睡眠負債)や疲労の蓄積に関する研究が進むと、疲労の回復にも焦点があてられるようになりました。これが勤務間インターバル制度の考え方につながっていきます。睡眠不足や疲労を蓄積させないことも重視されたといえます。
上図は勤務間インターバルと生活モデルの例ですが、少なくとも6時間の睡眠が確保されるラインが最低限の基準となり、そこから勤務間インターバル11時間もしくは9時間となっています。ただし、この基準はあくまで最低限必要な睡眠(1日6時間程度)を確保することを念頭に置いたものであり、個々の職場の事情や労働負担の状況、通勤事情などによって調整すべきと考えられます。
まとめ
以上、睡眠や疲労の評価と疲労回復の概要を見てきました。今後は、睡眠不足が安全衛生に及ぼす影響を理解し、合理的な対策を講じていくことが重要になると考えられます。