これまでの記事で、作業手順書やマニュアル、労働災害統計の動向などについて考えてみました。これらを通して、近年の労働災害発生の傾向や現場での安全衛生マネジメントの課題などが、ある程度、浮き彫りになってきました。
また、これからの安全衛生を考えるうえで、Safety-Ⅱという考え方が、一つのカギになるのではないかと感じるようになりました。今回は、このSafety-Ⅱの概念や安全衛生活動への応用などを、参考書籍の紹介を交えながら考えてみたいと思います。
Safety-Ⅱとは
そもそも、Safety-Ⅱとはどういう概念でしょうか。まずは、Safety-Ⅰとの対比でみてみます。
- Safety-Ⅰ:トラブルや労災などの「うまくいかなかったこと」からの視点
- Safety-Ⅱ:日常の平常業務などの「うまくいっていること」からの視点
従来、重大な事故や災害などが起こると、その事象について原因と結果を検証して、以後の対策が論じられてきました。このように、主として「うまくいかなかったこと」に焦点が当てられ、それ以外の「うまくいっていること」には、あまり焦点があてられることはありませんでした。
Safety-ⅠとSafety-Ⅱ
しかし、労働災害統計などからもわかるように、事故や労働災害は、ある程度のところまで減少した後、減少が頭打ちとなってきています。重大災害も依然として発生しています。そこで、従来的なSafety-Ⅰの発想だけでは限界があるのではないかと考えられるようになってきました。すなわち、「うまくいっていること」の視点からも、もっと学ぶ必要があるのではないかと考えられるようになりました。
仮に同じ作業を10000回繰り返した場合に1回の事故もしくはトラブルが起こるとした場合、極端な話、Safety-Ⅰの考え方では1回しか注目を浴びることはなく、9999回はインシデントをはらんでいたとしてもほとんど注目されないということになります。
このように、Safety-Ⅰの視点ばかりに偏ると事例から学ぶ頻度が極端に少なくなり、重大な事例からしか学ばないといったことになります。さらに対策が常に後追い的・後付け的になる傾向があり、予期しない事象・複雑な事象への対応が遅れることになります。
そこで、平常時の「うまくいっている状態」から「なぜうまくいっているのか」ということを知ろうという発想が生まれました。いいかえると、「Safety-Ⅰ:うまくいかないことを防ぐ」から「Safety-Ⅱ:うまくいっている理由を知る」への発想の転換となります。
ただし、これはSafety-Ⅰを否定しているわけではなく、Safety-Ⅰの欠点を補完するものとしてSafety-Ⅱを取り入れる発想と考えられます。あくまで相補的なものなのです。
安全管理の歴史
以下の図は、産業革命以降、どのように安全管理が変遷してきたかの概略をまとめたものです。
リスクや安全について関心がもたれるようになったのは、18世紀の第2次産業革命以降だといわれています。
当初、その内容のほとんどが「技術的要因」に関するものであり、その状況が200年以上つづきました。この時代には、不利益事象発生の因果関係は比較的単純で、原因と結果がほぼ1対1であり、両者の間に線形性がみられていました。このような状況下では、事故分析も単純な傾向にあり、安全対策は「原因の発見とその除去」「バリアや防御の強化」が中心でした。
次に、技術が高度化してくると、不利益事象発生の因果関係が次第に複雑化し、原因と結果が多対多になってきます。因果関係の線形性が崩れて、散布的・複合的になってきます。原因が不明瞭なものも現れてきます。
徐々に「技術的要因」に関する対策のみでは不十分となり、スリーマイル島の原発事故あたりを境に「人的要因」にも関心が集まるようになりました。この時期には「ヒューマンエラー」に注目が集まり、安全対策を講じるうえでも、どこか犯人捜し的な雰囲気となったといわれています。
結局、ヒューマンエラーを追求する対策は、あまり効果をあげず、次第に「組織的要因」や「社会的要因」を包括的に考察する「安全マネジメント」の考え方に移っていきます。「人的要因」は、必ずしも負の側面としてだけで見るのではなく、「現場での適度な調整」によって「事象がうまくいっているのではないか」という考え方も取り入れていきます。これが、Safety-Ⅱの原点と考えられます。
一方で、管理部門と現場との関係で見ても、「技術の時代」には比較的単純でした。すなわち、管理部門の視点である「行うことが期待された作業(Work-As-Imagined:WAI)」と、現場での視点である「実際になされた作業(Work-As-Done:WAD)」が一致しやすく、WAI=WADの状態になりやすかったといえます。
しかし、技術・組織・社会が複雑化してくると、WAI=WADの状態になり難くなり、管理部門と現場との認識にズレが生じやすくなります。作業手順書やマニュアルがうまく機能しにくい状況にもなります。
そこで、安全における人間の役割や位置付けに変化が生じ、「システムの完全性」を求めるだけでなく、「人間の柔軟性(レジリエンス)」も重視するという考え方が生じてきます。
ここまでが、Safety-Ⅱの大まかな概要や発祥の経緯となります。この概念は、産業や社会のシステムの変化に応じて必然的に現れてきたとも思われます。
Safety-Ⅱ実践の試み
しかしながら、にわかにSafety-Ⅱやレジリエンスの考え方を労働安全衛生に取り入れることは難しいとも感じています。これらは、概念的には素晴らしいのですが、具体性に欠ける傾向があり、なかなか実体化することが難しいからです。
そこで、まずは以下のような取り組みを地道に継続することが重要と考えています。
- 危険予知活動(KY活動)やヒヤリハット報告
- 重大事に至らなかった事象(インシデント)の分析
- 平常時にはどのようにインシデントを回避しているかの情報収集
- 現場内での良好なコミュニケーション
- 現場と管理部門の良好なコミュニケーション
- 安易な犯人捜しをしない
- ヒューマンエラーは起こりうるという前提で考える
- 上記を踏まえた「作業手順書やマニュアル」の定期的・継続的な見直し
- 「明確なルール違反」と「適度な調整」を混同しないように両者をある程度明確化する
- 現場への裁量範囲をある程度明確化する
- 作業管理や行動面での対策を重視する
これらの取り組みによって、あまり概念を重視せず、自然にSafety-Ⅱやレジリエンスの考え方を取り入れていければと考えています。
参考書籍
最後に参考書籍の紹介です。今回の記事では、これらの書籍から多くの引用をさせていただきました。
1冊目の「Safety-Ⅰ& Safety-Ⅱ」は、従来型の安全マネジメントであるSafety-Ⅰと相補的な概念であるSafety-Ⅱに関する草分け的な著作です。訳書なので少し読みづらいところもありますが、これからの安全衛生を考えるうえで示唆に富む内容だと思います。
2冊目の「レジリエント・ヘルスケア」は、Safety-Ⅱの考え方を実際の医療現場で実践しようとする試みが記されています。具体的な実例が挙げられているため、Safety-Ⅱやその実戦形態であるレジリエンスをイメージしやすい内容だと思います。
まとめ
以上、Safety-Ⅱの概念と安全衛生への適用について、簡単に見てみました。Safety-Ⅱやレジリエンスは、まだ比較的新しい概念で、産業現場での応用もこれからだと思います。私自身もまだ理解が浅く、これから現場での経験と照らし合わせながらよく考察していく必要があると考えています。一方で、これからの安全衛生を考えるうえで、一つの重要な概念ではないかと感じています。折に触れて継続的に発信していきたいと思います。